おん、と燃え上がる穂先が空を鳴らし、触れた先からさっと白く灰に変えていく。灰が散り穂先が過ぎれば残りの躯が吹っ飛び、地に叩き付けられて炭と化していた部分が砕ける。ぐしゃりとかがしゃんとか立てただろう音はぼうぼうと鳴る炎の音で幸村の耳には届かない。
陽炎の向こうで己が槍に燃されて逝く命は、なんだかぼやけて夢のようだと思う。くんと微かに抵抗が掛かるだけで、触れた側から肉が骨が灰になり血が蒸発してしまうものだから、命の重みが手に残らない。
ゆっくりと、遠心力が途絶え下方へと槍の重みが戻り始めた。すう、と涼しい風が首筋を擦る。火に包まれて汗だくだった筈の己の膚は乾いていて火の守りを施された槍も焦げ一つ付いていないのに、幸村を中心とした円状に、周囲は焦土と化していた。黒く、白く、地面が乾きひび割れて黒と白の煙がゆらゆらと上り、ぼそぼそと落ちている半ば以上炭と灰になった骸は数え切れぬ程。だのに槍の穂先から遠かった部分は睫の一つも焦げていない。
旦那の火は山の火程に熱いんだ、と、そう言えばいつだったか幸村の忍びが言っていた。触れた瞬間だけ燃え上がる、その為のこの異形の骸なのだろうか。
かえんぐるま、と、幸村は口の中で呟いた。身の内から湧き上がる火の衝動のままに振るった二槍は知らぬ技で地を焼いてみせた。
おお、おお、と遠くで鬨の声が上がる。勝利の声だ。武田の勝利だった。
敗走していく敵兵を追うこともせずにぼんやりと焦土の中心に立っていると、怪我はないかと味方の兵が駆け寄って来た。地に転がる焼け焦げた骸に幾人かがぎょっと足を止める。
すげえや幸村様、と浮かれた声を上げて、若い足軽がさくさく、ざくざくとつい先程まで人だった炭を踏みしだいた。それを眉を顰めた老兵が咎めて叱っているのを視界の端に見ながら、幸村はふっと地に落ちた影に頭上を仰いだ。はらりと黒い、羽根が二枚。
「よ、っと」
とん、と軽々と地に飛び降りた忍びは、うはあ、凄えなあ、と目を丸くし頭を掻いて周囲を見回し、それからさくさくと灰を踏んで近付いて来た。
佐助も炭を踏むのだろうか、とそれをじっと見ていると、歩幅も変えず、ごく自然な動きで忍びは骸を跨ぎこれっぽっちも踏み付けずに幸村の側までやって来た。まるで地上に飛び降りたその時から歩幅を計算していたかのようなさり気なさだった。
「旦那、お疲れ。怪我はない?」
「ない」
そうか、踏むものではないな、と考えながら頷いて、幸村は己が忍びの血と煤に汚れた顔を眺めた。
「佐助は凄いな」
「は? 凄いのは旦那でしょ?」
凄かったよ向こうの丘からも火が見えたんだぜ、直ぐに旦那のだって判ったよ、と微笑を浮かべたまま賞賛して、佐助は懐から取り出した手拭いで幸村の首筋と顔を拭った。
「塩浮いてるよ」
「ああ、」
「さ、帰ろう旦那。大将が待ってるよ」
判ったと頷き、幸村は先に立って歩き出した忍びについて骸を跨ぎ、避け、合間を歩いた。
ふと見遣ると、忍びの手っ甲に血の飛沫が付いていて、幸村は双子の槍を片腕に抱え直し空いた左手でその手をとった。振り向いた忍びを見据える。
「火焔車と名付けようと思う」
「これ?」
焦土の円の縁に立ち、背後を示した忍びにそうだと頷くと、ふうんと忍びは薄く笑った。
「いいんじゃない? 格好いいよ」
「うむ」
頷いて、幸村は何を思うでもなくついと模様の描き込まれた顔に口を寄せその頬の煤を舐め取った。汗と埃と煤と血の味が混じり合い妙に苦くて、不味いと言うと病気になったらどうすんの、と慌てた忍びに叱られる。
「帰るぞ、佐助」
「ちょ、もう、なんで腕、」
ぐいぐいと掴んだままの手を引いて歩き出すと、まだ小言を言い足りない顔で溜息を吐き、忍びは自由な左の手を愛用の大手裏剣に添えたまま地に臥す骸を踏まぬよう、足音も立てず軽やかに付いて来た。
それを真似て、けれどこちらは不器用にひょい、ひょいと骸を避け跨ぎながら、幸村は武田の大将の御座す本陣を目指して、火薬と血と汚物と泥の臭いの混じる戦場を歩いた。
20061130
闇
文
虫
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