01 雪と鮮血

 
 
 
 
 
 

 商家の生まれであった。
 もう四代目にもなる、それなりの店を構える家であったが、特にあくどい事をしてきた訳でもなく時流に乗って栄えた、しかし戦国の世にありながら、武器商人の様な物とは縁遠い、紙絵巻と幾らかの美しい小物を扱う店であった。
 上方趣味のそれは気取った武家に人気かと思いきや、派手さに欠け値段が安いとそっぽを向かれ、しかし武家の趣味を安価に真似たい町民に好かれてそれなりに繁盛していたし、だから、血腥い時勢でありながら、戦に取られることもなく、刃物等触った事も無いと言った具合で、楽しみと言えば時折芸妓を揚げて遊ばせる程度。仕事は順風、妻も子も無く、両親も健在で、気儘な人生を送っていた。

 しかし、生きた気はしなかった、と、小十郎は思う。
 
 それはきっと彼の方がおらぬ所為であろう。
 そう考えて、平凡な夢の裡でまで、憶えておらぬどころか、その夢の己には一片たりとも関わりの無い竜の不在を嘆く等、余程侵蝕されて居ると呆れるより先に、薄く笑う。
 彼の方がおらぬ小十郎の人生等、死んで居るも同然だ。
 
 それからふと、嗚呼そう言えば現でもまた、彼の方はもうおらぬのだったと考えて、ならば最早死んだも同然、と深く息を洩らした所で、固く懐剣を握っていた手が滑った。ぐっしょりと赤に染まった懐紙は最早役に立たず、力を込め過ぎたか、みっともない事に、懐紙ごと掌が切れて居る。
 小十郎は幾度か瞬いた。一瞬落ちた意識が夢を経て、地獄へと辿り着く前に、再び瞬間だけ、此の世に戻ったものらしい。
 やれやれ、と小十郎は吐く息に交えて呟いた。竜の御印を持って逃走し然るべき場所へと預けて、唯一人、介錯も無い道行きを、哀れと思った神仏の思し召しであろうか。
 顔を上げればしんしんと降る雪は、雪面に座り込んだ時と何ら変わらず、意識が落ちたのは、本当に一瞬の事であったらしい。雪を溶かし落ちる血とだらりとはみ出た腑が、ゆらゆらと湯気を立てて居る。
 ばちゃ、と溶けた雪混じりにびしゃびしゃと滴る血溜まりに、最早裂く所の無い懐剣を落とし、小十郎は開腹した腹腔へと手を突っ込み、腑を掻き出した。激痛は絶え間なく、けれど眩暈の中、意識ばかりがくっきりとして、はあはあと荒く吐く己の息が、矢鱈と耳に付く。
 気付くと、びしゃ、と赤い飛沫を上げて、小十郎は雪の中へと倒れ込んで居た。ぜいぜい、と、胸が鳴り、冷気が直接触れるのかぎんと肺腑が痛む。
 
「まさ、むね、さま」
 
 悪酔いをした様に、天も地もなく目が回り、細めた視界は光と闇が滅茶苦茶に飛び散って、思わず嘔吐くと熱い何かが口と言わず鼻と言わず逆流をして、けれどもう味も臭いも判らずに、唯眉間の奥が熱した棒でも突き立てられたかの様にぎりりと痛んだ。
 じわり、と、その熱に涙が滲み出て、その涙に誘発される様に湧き上がった悲しみに、小十郎は泣いた。
 
 たった十九年、此の世に降りた、竜の纏う人の肉の死が、唯唯悲しく、恋しく。
 
 嗚呼次に意識が落ちれば彼の方が、小十郎、と名を呼んで、地獄迄も付いて来いと不敵な笑みを見せると判って居るから、今、現に在る時ばかりは、十九で死んだ若い主の、その死を存分に嘆くとしよう、と、小十郎は戦慄く色の無い唇で、政宗様、と、もう一度、三世後まで仕える主の、今生の名を呼んだ。

 
 
 
 
 
 
 
20070607